サッカー界はビデオ判定を導入するべきか?


昨日ワールドカップ南アフリカ大会の決勝トーナメント第1回戦、イングランド対ドイツが行われた。
結果は既にニュースでご存知かと思うが、ドイツが4-1でイングランドを下し、15大会連続のベスト8進出を決めた。

最後には点差がついたものの、前半は非常に競った内容であり、どちらが勝ってもおかしくはないように思えた。
しかし試合中に事件は起きた。

イングランドが0-2とリードされた場面から1点を返した直後の前半38分。
ランパードの放ったシュートがクロスバーに当たって落ち、はね返ったボールが再びバーに当たった後にGKが捕球した。
このプレーの動画リプレイを見てみると、クロスバーに当たって落ちた際に、ボールは間違いなくゴールラインを割っていたのだが、判定はノーゴールとなった。



後半にはイングランドの不安定な守備が崩壊し、ドイツのダイナミックなカウンターアタック等から2点を失い、
最終的には4-1の大敗という無惨な結果となってしまった。

もしイングランドが0-2という状況から前半の内に同点へ追いつき、後半を迎えることが出来ていたら結果はどうなっていたのだろか。

イングランドのカペッロ監督は、「本当に信じられない。我々は5人の審判とプレーしているのに、誰もゴールかどうか決められないなんて…もし、あのゴールが認められていたら、違った結果になったはずだ」と試合後も怒りが納まらなかった。

例えドイツが3点目を取ったとしても、同点に追いついてから再び勝ち越されるのと、ミスジャッジからゴールが認められない状態で2点差をつけられるのとでは、
精神的なダメージの違いは非常に大きいと感じる。

また、次に行われたアルゼンチン対メキシコの一線でも、明らかにオフサイドポジションにいたテベスのヘディングシュートが認められる等、「疑惑の判定」があった。

ここで本題に入るが、「FIFAは何故ビデオ判定を導入しないのか」という疑問について考えたい。

まずはサッカー界の重要人物のビデオ判定導入に対する意見を挙げてみたい:

FIFA会長ブラッター氏:
「いかなる決定も最終的には人間によって下されるべき」
「サッカー界に最新技術を導入するとなると、莫大な費用が掛かるという研究結果が出ている」
「サッカーは動きの連続により構成されるスポーツだ。
判定ごとにプレーを止めてチェックするわけにはいかない。
そんなことをしていては、試合のリズムが失われるばかりでなく、
チームからゴールチャンスを奪う結果にもなりかねない。
サッカーが本来持つ勢いを失ってしまうだけで、まったく意味がない」

UEFA会長のプラティニ氏:
「人々が話しているのは、ビッグマッチについてのことだ。
しかし、 フェロー諸島やアンドラの試合のために、20台のカメラを回すことに意味があるのだろうか?
あらゆる機会に対して平等に動いていかなければならなくなる」

サッカー連盟の会長二人は:
「サッカーの試合は、世界中のいかなる場所でも同じ方法により実施されなければならない」
という考えを最優先している事が伺える。

FIFAの会長の立場から言えば、世界中のことを考えなくてはならないし、確かにビデオ判定を導入するためにはある程度の資金が必要になってくる。

ただ、ひろゆき’s意見だが世界中で全く同じルールにこだわる必要はないと感じる。
そもそも試合をさばく審判のレベルが統一されていないのに、審判の人数やカメラの台数という「形だけのルール」から統一していく意味があるのだろうか。
例えばアンゴラの試合を担当する審判とJリーグを担当する審判のレベルは天と地の差があるだろう。
これでもブラッター会長は「同じ方法」と定義するのだろうか。

世界が注目するビッグマッチには数え切れない程多くの人々が関与しており、その試合結果によって人生が左右される人も少なくない。
せめて、そういった試合だけでも真実に基づいたジャッジをしてほしいと感じる。

また、「サッカーの動きを止める」というが、
選手から審判にミスジャッジへの抗議が数分続いた事は私も何回か見たことがある。
そのような場面で審判が不満のある選手へビデオリプレイを見せて納得させれば、すぐに試合は再開するはず。

そもそもビデオ判定を導入しないとFIFAは言っているのに、テレビでは当たり前の様にビデオリプレイが映される。
しかも丁寧にSONYさんお薦めのウルトラスローカメラまで使用している。

ビデオ判定を導入しないという姿勢を取るならば、
テレビ視聴者に「疑惑の判定シーン」を動画リプレイとして見せてはならない。
私もそうだが、ビデオリプレイを見て、「あの判定は完全にミスジャッジだ!」と確信しているからこそビデオ判定の導入についてこうして訴えている。
もしビデオリプレイを見る事が出来なければ、「多分審判にはちゃんと見えていたから、あの判定で正しいのだろうな」という考えになるはず。

FIFAは世界中の放送局が映すことの出来る映像までコントロールしているので、「疑惑の判定」の部分のみを映さないように手配する事は全く問題無いはずだ。

私の予想だが、FIFA等と提携し、カメラ類を提供している企業(W杯ならばSONY)が、恐らくビデオ判定を導入してほしいがために、スポンサーパワーを使用してあのリプレイを流していると思う(笑)。

長くなってしまいましたが、最後に素晴らしい方からの、この議論の結論へと導いてくれる素晴らしいコメントを紹介したい:

世界最高の審判と言われているコッリーナ氏:
「自身のキャリアを左右するような重大なミスを避けられるビデオ判定の導入を拒む理性は審判にはない」
「審判は非難されるものだ。なぜなら大きな進歩を遂げてきた最新技術が示す事実を、
彼らは眼でとらえることができないからね。
審判はどのように用意しても、また彼らがどんなに熱心に動いても、最新技術にはかなわないんだ。
だから、このことを理解した上で、審判もミスを犯すということ、
または審判と同じように判定を下せる道具を彼らに与えるか、どちらかを受け入れるしかないだろう」
「人間の犯す失敗を容認できるほど、文化が発展することが唯一の解決方法だ」

彼の様に、サッカーに人生を捧げてきた者にこそ辿り着ける結論だと思う。

「サッカー界はビデオ判定を導入するべきか?」

それは「最新技術を全面導入して、誰が見ても文句が言えない程のジャッジをする」という選択。
または、コッリーナ氏の言うように、「人間の犯す失敗を容認できるほど、文化が発展すること」が唯一の解決方法なのかもしれない。

あなたはどう思いますか?

どちらにしても問題は出てくるだろうが、今後サッカー界がどのような姿勢を示すかに注目していきたい。


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SPEAK UP JAPAN!!



皆さんは「松田 公太」という方をご存知だろうか?


1998
年に設立されたタリーズコーヒージャパンの創業者であり、2001年には外食業界最速(当時)でナスダック・ジャパンに株式を上場。


2007
年には世界経済フォーラム(ダボス会議)Young Global Leaders1人に選出。


そして
2010512日、第22回参議院議員通常選挙にみんなの党の公認候補として東京選挙区から出馬することを表明。


彼は帰国子女であり、シンガポールに住んだ経験を持ち、更には筑波大学で体育会系と驚くほど自分との共通点がある方なので個人的には目が離せない日本屈指の実業家である。


そんな彼と皆さんもご存知である
楽天株式会社三木谷
浩史さんが、トレンダーズ株式会社の経沢 香保子さんをコーディネーターとして迎えパネルディスカッションを行うという情報を松田さんのtwitterよりキャッチし、本日会社を早退して参加してきた。


イベント名は:『Speak Up Japan!』だったのだが、その名の通り日本に元気を与えてくれる有意義な話を聞く事が出来た。メインとなったテーマは日本の「グローバル化」。特にITと言語のグローバル化を早急に進めるべきであるという点が強調されていたのですが、長くなってしまうためここでは「言語」について取り上げたいと思います。



「日本人はあまりにも英語が苦手だ」と三木谷さんは言った。


政治家も喋れなければ、自社がグローバル企業と謳っている企業の役員達でさえ全く喋る事が出来ない始末。そんな彼らが企業を、そして国を引っ張っていく立場に居座ることはこの国にとって深刻な問題であると三木谷さんの言葉を聞いて再認識した。


この言語鎖国という状況は早めに改善しないと日本に未来はない。


英語が出来れば世界の情報にアクセスする事ができるし、
世界とコミュニケーションを取ることさえも出来る。見える世界が広がり、可能性やチャンスもまた拡大する。


楽天株式会社では社内の公用語を英語にするなど、グローバル化への移行に本腰を入れて取り組んでいる。
「本部の人間が日本語しか出来ないと海外の子会社の方々がシラけるんだよね」と三木谷さんは語った。「インド人の方なんて英語と比べて言語として非常に難しい日本語をたった
3ヶ月で話せるようになったんですよ。日本人は平均で約3,000時間も英語の勉強をしている。やる気さえあれば大人全員が話せるようになっている筈だ」


社員の英語力を磨く我が社の活動が成功し、実績に繋がれば、他企業も同じ道を進んでくれると思っている。それが日本を変えていってくれればいい」と三木谷さんは続けた。


世界を常に意識している実業家らしい考えであると同時に、日本の問題までも解決しようとする長期的なビジョンは素晴らしい。


松田さんも自身が中国を訪れた時に立ち寄ったスターバックスの話を付け足した。


「スターバックスのスタッフのネームプレートを見ると、スーザンとかジョンとか英語圏のニックネームがついていたので英語で話しかけてみた。すると“ゆっくり話してください”と返されたのですよ。“何で英語喋れないのにそんなネームプレートつけているの?”と笑いながら聞いてみた。するとその中国人スタッフは“英語を早く話せるようになりたいからつけているのです”と応えたのですね。私は笑ってしまった自分が恥ずかしくなりましたよ。中国人はもう英語という“世界の言葉”を話せないと何も出来なくなるという事に気づいていて、出来ることから実行していたんですよ。スゴイと思いましたね」と松田さんは語った。


そこから話は政治のテーマへと移った。


「そもそも日本の政治家は一体何がしたいのかがよく分からないね」と三木谷さん。挙句の果てには「政治はね、もういいよ。。」とまで言う始末。


世界状況を考慮せずに日本独自の方向へ孤独に進んでいく「ガラパゴス」状況から抜け出さないとならない。三木谷さんはこのように強調していると私には聞こえた。


今までの概念を根本的に変える政策が今こそ必要である。


英語を第二公用語にするなどの思い切った策が必要」と三木谷さんが提案するが、まさにこういったいわゆる“大改革”が今の日本には必要なのではないだろうか。


国のリーダーは
10年後、20年後、そして30年後のビジョンを持っているのか?


グローバルなエコノミーに生きていることを認識した上での決断が政治家には求められる。まずは
ITと英語の重要性を理解した上での「グローバル化」を一刻も早く進めること。


英語についてお聞きしたいのだが、日本人はどうだろうか?この記事を読んでいる皆さんはどうだろうか?


心のどこかで
“別に良い暮らしはしているのだし、英語が喋れなくても何とかなるだろう”と思っていませんか?


インターネットが国境の壁を壊した今、自国だけでなく、世界市場を相手にする時代に既に突入していますよ。


今後は英語が出来ないとコミュニケーションが必要にならない仕事にしか就けません。でもそういう仕事は発展途上国の方々があなたの要求する額の半分以下の給料でも喜んで引き受けるでしょう。
さあ、あなたはどうしますか?


もう言い訳をしている暇さえなくなったと思いましょう。幸いにも日本人の教育水準は世界で見てまだ高い位置につけているし、「真面目」で「我慢強い」という良い長所もあります。それらを生かして、これからは「本気」で英語に取り組む事を強くお薦めします。


松田さんはこう言った:

「僕は海外で育ったため、日本に対する憧れが強く、日本人以上に日本が好きになってしまいました。世界に日本の良さを伝えたい!」


また、彼のブログにも今回の出馬に対する意気込みが書かれていた:

「このまま放っておくと、日本は本当に取り返しのつかない事になる。日本を楽しく元気にするのが私の使命だと思っています。これからの日本は大変な立て直しが必要になると思いますが、皆さんと一緒に明るい未来を信じて頑張って行きたいと思っています」


彼には海外生活の経験があり、語学力に長け、実業家としての成功体験もある。そして何よりも日本を愛する気持ちを強く持っている松田さんの様な方にはドンドン政界に参入してほしい。


実は自分も三木谷さんの意見と似ていて「政治はもういいよ。。」と興味を失っていた。


英語も
ITも使いこなせない時代遅れの「おじさん政治家」を応援する気にはなれない。政治についての知識を身につける時間があれば、ビジネス知識や中国語やスペイン語などの新たな言語を身につけることを選ぶ。自分はいつもこのように考えていた。


しかし松田さんのような本当に期待の出来る方が出馬するとなれば話は別だ。彼のような方に日本を引っ張ってもらえるならば、私は安心して国を任せるだろう。


イベントが終わった後に松田さんに挨拶をすることが出来た。
「僕もシンガポールに住んでいて、帰国子女として筑波大学に入学して、しかも体育会系だったんですよ!」と言ってみたら、「えっ、いつ卒業したの?
何部だったの?サッカー部なら井原とか中山とかと仲良かったんだよ!」と話しかけてくれた。たった数十秒の会話だったが、松田さんの素晴らしい人柄が表れていた。


「応援しています!頑張ってください!」と私が言うと彼は:
「ありがとうございます。一緒に頑張りましょう!」と返した。


そうだ。

頑張るべきなのは松田さんだけではない。

自分自身を含む日本人全員がこの国を愛し、国のために何か行動を起こす。そういった全員の協力やパワーがないとこの巨大な国は動かないし、変わらない。


皆さんも是非この事を忘れずにまた明日から頑張りましょう!!


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「iPadを語る会」に参加してみた


今日はTweetviteというサイトで見つけたiPadを語る会」に参加してきた。




元マイクロソフトの方やIBMTechfirmの方など、参加者はやはりIT関係の方が多かったが自分が所属する業界では出会えない人々と自分の好きな事について語り合うという有意義な時間を過ごすことができた。


25名のiPadファンが集まったのだが、私を含む半数の参加者が既にiPadを使用中であり、持参していた。


非常に興味深かった点は
iPad所持者ほぼ全員が自分がまるでアップルの人間であるかのような勢いでiPadの素晴らしさを情熱的にプレゼンしていた事だ。


“このアプリはここをこうやってタップすると、こんなのがビューンと出てきて、更にこれをこうするとこんな感じになるんですよ!”と説明し、聞き手が“おぉー!”というシーンが多々あった。


私自身も隣の方と自分がしている仕事の話をする際に
iPadを活用し自社サイトを見せ合ったりするなど、コミュニケーションにiPadを利用してみた。


“へぇー、面白そうな会社ですね。じゃあ私のも紹介しますね”という感じでコミュニケーションが円滑に、そしてリッチに進むのを体感できたのは非常に良い経験だった。


iPad
は少なくとも国内のビジネス現場では間違いなく浸透する。私はこの会に参加してそう確信した。


少人数会議では即席のプレゼンソフトやホワイトボードとしても使用できるし、もうちょっとしたらプロジェクターに繋げる事が出来るアプリも登場するだろう。



一瞬でインターネットに接続できるし、メールの確認だって一瞬だ。更には無限大の可能性を秘めているアプリがある。


これだけの条件が揃っているこの素晴らしいデバイスがビジネスの現場に持ち込まれるのは時間の問題だろう。


それが確信できただけでも今日の会に参加して良かったと思う。

iPhoneみたいにすぐ新しいバージョンが出るからそれが出るまで待ったら?”という周囲の注意を聞き入れる事なく購入したiPadだったが、自分の判断は間違っていなかった再認識できた。


確かに第
2世代は今のものより恐らく軽くなったり、カメラがついたり、マルチタスク機能がついたり、バッテリーが長持ちするというデバイスにはなるだろう。でもそれが出てからiPadに慣れ親しむのと、今からマスターしておく事は非常に大きな「差」を生む。自分は恐らくこの様なデバイスを使いこなす事が出来る会社で働く事になるため、この「差」は大きい。


今日の会に参加したいわゆる「アーリーアダプター」の皆さんはこういったデバイスを多くの人が持つ事によって起きる情報革命が想像できているのだと思っている。


極端に言えば、日本の全国民が
iPadを持ち、孫さんが掲げる「光の道」プロジェクトが完成すれば、我々の生活は劇的に変わるだろう。
(※更に極端に言えば、全世界の人々が一人一台iPad持ったら世界が激変する)



予想できる変化は様々ではあるが、生活がより効率的、より楽しく、そしてより豊かになるという事はまず間違いない。


そんな「幸せな生活」を早く手に入れたいという気持ちが私を含む「アーリーアダプター」にはあるのだろう
無意識なのかもしれないがね



だから私達はこのデバイスの素晴らしさをまるで自分がアップルやソフトバンクの営業マンであるかの様に他人に必死に説明しているのかもしれない。


もう何の話か分からなくなりましたが、今日はこれぐらいにしておきます(笑)。



そしてこの会に参加していなかったため、ライブで見る事が出来なかった日本対コートジボワール戦の録画を今から見ようっと。


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インフォメーション マネージメント ~ネット社会に名を刻め~【発信編】


前回までに投稿で情報を“集める”“整理する”という点について私なりの方法を紹介してきましたが、今回は最後になる情報の“発信”について紹介したいと思います。

まずはじめに、自分がインターネット上で発信する情報は世界のどこかにいる誰かに大きな影響を与える可能性があるという事を認識してほしい。

現代社会では新しいテクノロジーによって、個人が自分の価値を伝え、他者と交流する方法が変わりつつある。TwitterFacebook等を使用すれば普段会うこのない人々と手軽にコミュニケーションが取れてしまう。

私はこの事実を最大限に利用して積極的にあらゆる方々とネット上でコミュニケーションを取るようにしている。

自分の意見を世の中に対して表現をすることによって多くのメリットがある。

自分が意見を言うと、それ以上のものが自分に返ってくると思う。

それは、発表したことによって、自分が気づくこともあるし、それを聞いていた人からのフィードバックで勇気づけられたり、大切なことに気づかせてもらったりすることもあるでしょう。

時には耳の痛い指摘を受ける事もあるかもしれない。

傷つき、自己嫌悪に陥ること、劣等感に苦しむ人もいるかもしれない。

それでも、「これは自分にはなかった発想だ、次に活かそう」とポジティブに捉え、それがステップアップに繋がる。

そうしてどんどんアウトプットしていくと、自分の発言や意見をどこかで聞きつけた人から「あの意見、本当に共感した」とかお声がかかる可能性だって充分にある。

こういったことが思わぬ出来事につながり、そこから新しい出会いが広がると思っている。

そして、こういったことを続けていくことによって自分が幅広い視野を持つ事が出来ると強く信じている。



ちなみに私は、情報を発信する前には「自分が何をしたいのか」を決めていた。それは「自分と価値観などが合う人々や自分が尊敬する方々と関わり、コミュニケーションを取る事により、人生を楽しく、そしてより豊かにすること」だ。

ざっくりでシンプルな目的かもしれないが、これが決まっているだけで私は積極的に情報を発信する事が出来ていると感じている。

やはり人間は気の合う仲間と喋ったり、共に時間を過ごすことが最も楽しく感じるイベントの一つだと思っている。例えそれがネット上であっても、今のテクノロジーならば実際に会って話す時と同じぐらい充実した時間を過ごすことができる。

また、自分が尊敬する人物に声をかけてもらうだけでやはり元気が出るし、幸せになると思う。

「自分が何をしたい」という点が決まったら、次には自分のプロフィールなどをネット上であらゆる人々が見ることのできる場所に用意しておく必要がある。

この記事を読んでいる方には分かると思うが、私は個人ウェブサイトをはじめ、下図にあるようにあらゆるソーシャルメディアやウェブ上のサービスを使いこなし、プロフィールを設置している。



自分の存在をウェブ上に残す事は他者とコミュニケーションを取る際には非常に大切だと感じている。特に私の場合、「自分と合う人々」の多くはITリテラシーの高い方になると思われる。こういった方は何をするにもまず「検索」をする癖がついている。例えば自分の名前で検索された時に自分が検索結果に出てこないという事は私のなかでは「自分はネット上では存在していない」という事になり、これだけは避けたい。

ネット上のあらゆるサービスを活用してどんどん自分の名前を「刻む」事を皆さんにも是非お薦めしたい。

(※ちなみにhiroyukiochiaiや“落合弘幸”とGoogleで検索すると私の情報に辿り着くはずだ。ちゃんと存在してるでしょ・・笑)

さて、自分が情報を発信する目的の中にも含まれていた「自分と価値観が合う人々」を探すためにはやはり自分がどういう人間なのかをあらゆる場面で伝えていかないとならない。プロフィールを用意しておく事は当然必要なのだが、例えばTwitterTweet内容や方法などにも人の「性格」が現われる。私は常に「ありのまま」の自分が表現されるようには心掛けている。

また、積極的に有名人や興味の合いそうな人々にも話しかけるようにしている。例をいくつかキャプチャしてみました。
(※その他にも画面左にTwitterからの最近Tweetや他ユーザからのMentionが表示されているので見てみてください





話が盛り上がればソーシャル
メディア上での知り合いになる事もあれば、そのコミュニケーションを見て興味を持ってくれた別の方が自分を“検索”してくれるかも知れない。

その時にも事前に用意していたプロフィールが役に立つのだ。そのプロフィールを見て、Twitterであればフォローをしてくれて、話しかけてくれるかもしれない。

そういった事が増えていけば、「自分だけのコミュニティー」が出来上がっていく。しっかりとした情報を発信していればこの「自分だけのコミュニティー」には気の合う仲間や、尊敬する人などが集い、自分にとって有益な情報や自分を幸せにしてくれるコミュニケーションがどんどん生まれていく。

こうなればTwitterFacebookのタイムラインを読むのが楽しくなってくるので是非皆さんもそこまで辿り着きましょう!



【終わりに】

インターネットは未だにスゴイ勢いで成長している。特にその中でもTwitterFacebookなどの「ソーシャル・メディア」には毎日多くの人々が新たに参加している。

“ネット上で他人と知り合うのは危ないよねぇ”と言う方もいるがリアルに出会う人にだって危ない人はいる。

“ネット上のコミュニケーションは味気ないよねぇ”と言う人もいるが、ソフトバンクの孫正義 氏は「Twitterで涙したこともある」とまで言っており、私自身も非常に楽しい時間をネット上で過ごすことが出来ている。味気ないと感じるのはその利用者の心の問題だ。

使おうともしない人々にインターネットの可能性を否定されたくはない。孫さんだったら“大概にせぇ!”と言う所だろう。


ちょいと話が飛んでしまいましたが、今回は“集める”・“整理する”・“発信する”という三つを紹介しました。

順番などは特に気にしないで下さい。“発信する”事により情報が“集まる”かもしれないし、その逆だってあり得る。深く考えすぎると逃げ出したくなっちゃうのでまずは気楽に「参加」をして、慣れてきたらこの投稿を思い出してくれればと思います。

「インフォメーション マネジメント」というスキルを磨けば磨くほど、幸せになれると私は信じています。少しでも共感して頂けるようであれば、是非自分なりの方法で「インフォメーション マネジメント」を実行してみてください。


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